アオキの心に残るミュージック・シーン、エピソード、体験談などを掲載しています。

●ゴールデン・カップス 厚木ライブ
(神奈中スケートリンク/ドンキーカルテットとのタイバン)

オールスターメンバー、ディブ(Vo)、エディ(G)、ルイズルイス(B)、ケネス(G)、ミッキー(KEY)、マモル(DS)での、ナント!ドンキーカルテットとのタイバン(どういうコンセプトしてんの?)でした(メンバーまともに揃いすぎ!ACBなんか2ステージごろまで、ベースが来なかったのにネー)。ところで、演奏はというと、ボーカルアンプ(PA?)の調子が悪く、唄が全然きこえなくて、ディブ「皆さーん聞こえますか?」、お客「全然きこえネーヨーー」、ディブ「あっそうーじゃこのまま続けます」。まったく、こんな感じで、最後までバックの音ばかりでした。でも、ウォーキンブルースかっこよかったナー!! OFFの時(ディブとこーちゃんがスケートに挑戦中)に、マーシーマーシー(マーシー)は、誰のカバー?か尋ねたら なんと!ディブが、ドン・ゴーウェイとバッキンガムズの同曲を、その場で、両方唄ってくれました! (それには、感激しました)こーちゃんに”ギターの弦は何使ってんの?””ナイト・・”。 次の日必死に探しました。ナント!国産の1セット500円のやつでした。カップスみたいなバンドもう、でてこないだろうナ?でも、また聴きたいナー。誰か当時の、音源、持ってない?
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●アンチ!評論家/SJメッキ(?)ディスクの話

最近の、アオキのフリージャズレコードの充実ぶりは、大変素晴らしく、 レコード棚が、ついに、パンパンになってしまいました。 少しばかり、聴かないのを、処分しようと、ウエス・モンゴメリーの ”ソリチュード”(東宝レコードおまけにSJ/ゴールドディスク!) たしか・・・”ミスターウォーカー”で、騙されたヤツだナー 聴いてみたらこれが、ナント・・JINGLES(!)おまけついでに 次の”TO DJANGO”が、THE GIRL(BOY)NEXT DOOR”(!) フェイマス(?)な、Iさんのライナーには、前者は、カルフォルニア・ドリーミング でも演奏しているし(?)、後者はジャンゴへの賛歌(?)が高らかに、 うたいあげられる(??)・・・こりゃー泣ける(!!!) 書いたI氏も、ドイヒだけど、リリースされるまでに、誰か(どなたか?) ウェス・フリークがいなかったのかネー(??)というより、さらに 関係者なのに、ウェスのレコード全然聴いていないんじゃ、ないのー(?) 僕の他にも、騙された人、大勢いると、思います。 (あまりに、程度が低すぎて、誰も取り上げないのかネー?) これじゃー、ゴルードディスクの”ゴールド”は、メッキだネー レコード評は、評論家でなく、プレーヤー(演奏家)に聞くのが一番です。(ホントだよ)

●幻の”ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース”

81年ごろだったと、思います”NHK ふるさとから こんばんわ/本牧 マイブルース フィーリンブ”というのが、 新聞のテレビ欄にありました。僕は、これって、もしかしたら、エディー藩が、出るんじゃないか? 予想は的中しました。本牧ベース界隈→ゴールデン・カップ→こーちゃん(エディ)が料理をしているシーン (父の死後、家業を継いだ) こーちゃんが、もう一度横浜で、ブルースを演ろう!と仲間(GOOD FRIENDS)と苦悩しながら、 ついに、ライブを実現するというドキュメンタリー番組です。 (僕らの年代は、とっても懐かしく、なんたって同じことを、やってきたし、いまだに、やってんだから) イタリアンガーデンに、出演交渉にいったら、閉店しちゃってて、エディが、もう演奏する場所なんて無いんだ!と 嘆くシーンなど、まさに、ブルースなんだコレガ!。ジャガーズの沖津さんが、サイドギターで参加したり けっこうオモシロイデス。 モチロン、例の”ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース”が、バックに流れてて、とっても、良い雰囲気なんです。 実は、この”ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース”(番組バージョン)が、とってもイカシていて、後にリリースされた、 クリエーションとの、バージョンより、全然カッコいいんだ!。(ファンの人ゴメン)  僕は、この音源は、昔、買い損ねた”BAYSIDE SWINGER” (ジャケットがダサイので、何故か?買わなかったのです。)に、テッキリ入っているのだと思い、 約20年間(ちょーオオゲサ!)来る日も、来る日も、昔の恋人(?)探しに明け暮れたのでした。 それも、ついに、、98年の暮れに、”ストーミー・マンディ”に、エディを、聴きに行った時 本人から、引導を渡されたのでした。 ”あれは、デモテープしかないんだ。” 偶然、去年の僕の誕生日に、BAYSIDE SWINGERを、入手することが、出来ました、 でも、 もちろん、ヨコハマ・ホンキートンク・ブルースは入ってません。  2000.6.8

新宿のレコード屋さん

僕が 大学生のころ 新宿の”OM”という レコード屋さんに よく 買いに行きました。 新譜の ”スリーブラインド・マイス レーベル”の 鈴木 勲(B)の ブルーシティなんか 1700円で 売ってたり(あれ テスト盤かな??) ”OM”は 結構 重宝したものでした。 ところが その店 突然 閉めちゃって 無くなっちゃいました。 噂だと 店主が 夜逃げ しちゃったということでした。 それから 数ヶ月が過ぎて 雑誌(ニューミュージック・マガジンかな??)の広告に BEATLES の CIRCUIT レーベル の ピクチャーレコードが 載り  ”こりゃー大変だーー”ということで 店の名前は 忘れましたが 同じ新宿の 雑居ビル の3F (OMの近所かな??) みたいな レコード屋さんに コンタクトを とり  レコードを 予約して 2~3日内に 買いに伺いますということになり  (本業の??)洋服メーカーの コンヴェンションの日にちと 合わせて 仕入れより先に その レコード屋さんを たずねて行きました。 そのレコード店で ほんとに驚いたのは そこにいたのが(レコード屋さんの店主が) ”OM”の店主だったのです。ほんと・・・何事もなかったように でした。 当時 海賊盤が 流行っていて (高かったのかなー??)その レコードを カセット・テープに ダビングして 500円くらいで 売ってたのを 見ました。 相変わらず ゲリラみたいな こと してんなーーと 思いました。 これが そのときの ビートルズの レコードだよ。

宇山恭平(G)さん

宇山恭平さんが亡くなりました。宇山さんは僕のギター人生において最も影響を受けた人物です。 歌い方(アドリブのメロディライン)が素晴らしく、フレージングのすべてがメロディのごとく美しく歌い上げてとても見事でした。 中牟礼(G)さんを紹介してくれたのも宇山さんでした。 宇山さんのブロンドのジョニースミスと僕のブロンドのES-330TDNを交換したのも思い出のひとつです。 クリームの"クロスロード” コニー・フランシスの”ボーイ・ハント”やバーブラ・ストライザンドの”追憶”をいきなり「これ演ろう」と演奏したり、レコード買うんだったら、「評論家に聞かないでプレイヤーに聞かなきゃ駄目だよー」とか・・・いつも自分の意見をストレートに言われてました。 (話す前に、「実際は無理だと思うんだけど・・・」と前置きされて・・・) 宇山さんのオーケストラ”バード・ウォッチャーズ”でジョン・コルトレーンの”アセンション”を演奏したいともおっしゃってました。 あと九ちゃん(坂本九さん)と演奏旅行した話や、一度だけピンキーとキラーズのトラをした仕事の話など、中山美穂のバックで演奏するときにもこっそりと教えてくれました。 「親子みたいなシチューエーションだと思って行ったら孫とおじいさんみたいな扱いなんでまいったよー」とおっしゃってました。 上条恒彦と”木枯らし紋次郎のテーマ曲”を2ショットで演奏している映像もあります。 ものすごく頑固でとてもまじめでお茶目でお洒落で愛らしい人でした。 お通夜の席でベースの細川さんが宇山さんから突然、演奏活動を止めるという内容の手紙が来て驚いた話をされてましたが僕のところにはその手紙は来ませんでした。 僕には「音楽は止められないから最後は片手で出来るトランペットをやる」とおっしゃってました。 僕たちのマッカーサーガレージでのエンディングテーマ”パーディド”も宇山さんがカウンターメロディを弾いたのが良かったのでそのまま僕たちのテーマみたいになっちゃったし、ハッピーバースデイの演奏のやり方も宇山さんに教えていただいたのをそのまま同じにやっています。 宇山さんの足跡はたくさん残っています。 僕の音楽の師であり、先生です。心からのご冥福をお祈りします。2007.07.26

●近藤房之介さんのブルース・ギター

2001年6月1日・杉本喜代志(G)さんの新作CD発売記念ライブに行ってきました。 場所は六本木のスウィート・ベイジルでした。(満席でした!) いやー、ブルースナイトでした!スギさんは最高なのは(あたりまえ、常識!) 判っていますが、驚いたのは近藤房之介さんのブルースギター(!!)です。 ものすごく”しなやか”で、アオキは びっくらコキマシタ!。 僕は”コテコテ”ブルースは大嫌い(!)です。 アオキの48年音楽人生(0才でも音楽聴くのか(?))の中で、ベスト5(スゲー!)に入る衝撃でした!よく判らないけど、僕にとってなにかの影響を与えられたのは事実(!)であります。もちろんこれにはいろんなバック・グラウンドもある訳で、この1週間アオキのまわりで起こったいろんな出来事もプラスしてます。(楽しかったこと&悲しかったことetc) 人生はいろいろあって、素晴らしいですー。アオキもブルース弾きたくなりました。 皆さんも、お家の中で、CD聴いて音楽判ったーなんて顔してちゃ駄目だよー。 外へ出てライブを聴くべきです。ライブこそ音楽です!躍動かな(?)生きざまかな(?)。 房之介さんのギターは、完全に僕の心をとらえました。 (フレーズによっては、僕の心さえみすかされているような気持ちさえすることもありました) ギター聴いて泣けたなんて初めてじゃないのかな(?) 支離滅裂だけど、何かパワーありました? 皆さんも 房之介さんのギター聴きたくなったかなー??

●”ひこうき雲”との遭遇!

どのくらい昔か忘れましたが、新宿のトガワは中古(ジャズ)レコードの穴場で たまに、運がいいと、ブルーノートのSタレンタインの”ネバーレットミーゴー”の モノラル盤が 1.200円であったりしておいしい経験も何度かありました。 たまたまその日も、そういうモノ探しでトガワに行きました。 ジャズのおいしいものもその日は無くアット・ランダムにほかのジャンルを 流していました。気がつくと(ほとんど聴き流し状態ですが)何か変なというか、奇妙な声の 音楽が鳴っている。新人かなー?どうせろくなもんじゃねーだろう。(日本人をナメテル) 今度はスチールギターが鳴っている。カントリーぽい雰囲気だが唄(声)というよりは インストの一部みたいだ。歌詞は全然入ってこない。次の曲もたいした感じも無いナー。 曲もインパクト無いのに、何故か?コードの響きがとっても心に残る。次の日僕は 知り合いのレコード店でシングアソングライターのコーナーを片っ端から むさぼり聴いていた。やっと判った。荒井由美という名前だった。 一番印象的な曲は”雨の街を”のサビのところかな?(僕はかなりハマリました) バックはティンパン・アレー/ギターは鈴木茂。後にリリースされた”コバルト・アワー”の 卒業写真の間奏のスライド・ギターは彼の代表的なソロワークの金字塔だと思う。 でもコンサートはバックがティンパンアレーでなく(コズミックララバイ?カナ?) 鈴木茂がいなくて、ガッカリしたものだった。(松任谷正隆は大抵いましたが) (NHKホールの時はティンパン・アレーで鈴木茂はES-335を弾いていました。) (FMでオン・エアーしたので、エアーチェックは、あります、成人の日のライブでした)

●石間秀樹と”ビーバーズ”

僕がよく好んで見に(聴きに)行ったGS(昔はこんな呼び方してたかナー?)は カップスとハプニングス・フォーその次がビーバーズかなー。ジャガーズなんか 僕が小学校6年生のときに行ったときのバンドネームは”宮ユキオとプレイ・ファイブ” だもんネ。ヴィレッチ・シンガーズは4人編成でした。今回はビーバーズの思い出を書きます。 ビーバーズはいつもスーツ姿で髪はロング(といってもかわいい感じ若干アイドル演歌風?) でイメージ的にはヤードバーズ演るようには見えなかっでしたネー。成田賢は毎回”I’M AMAN” をハーモニカで演ってました。特に思い出に残っているのは、石間秀樹でとっても可愛い感じで (後にショーケンのバックでヒッピー風でちっともソロをとらないけどスゴイギターみたいな カリスマ的雰囲気は全然ありませんでした。)たしかいつも黒いテレキャスター (サイドギターはギルド)でジェームスブラウンの”マンズマンズ・ワールド”のストリングスの イントロを流暢に弾いちゃうのを(行くと必ず演奏してた)凄く上手いナーって感心してました。 いずみたく作曲の”恋して愛して”なんかもストリングスのパートを上手くギターで処理してました。 (いまもたまにレコード聴きます)。あまりにも残酷なあの曲はヒットしたのかナー?。 先日、急にビーバーズを聴きたくなって、レコードMAPのGS登録を片っ端から、聴きまくりました。 どこにもなくて、やっと1軒有りました。CDがナント9.800えん。ひえーーもちろん買いましたヨ。

●エレキギターの話いろいろ

僕が、ギターに興味を持ったのは、ビートルズが出てきた小学6年頃です。 親にねだって、やっと、テスコのセミアコ(当時8.700円だったと思います)を手にすることが出来ました。・・・しかし?ビートルズみたいな、音が全然しない?? もちろん、ギターと、コンセントにつなぐ?コード?が1本付いているだけで、アンプの存在なんて知らない。あたりまえの話ですが、アンプにつながないで、音がするわきゃー無いのです。ここで、言い訳ですが、当時のビートルズの写真は、ギターからコードが垂れていて、それがステージの端まで続いていました。 つまりアンプの姿は見えないのです。そこで、僕は、”判った、このコードをコンセントにつなぐんだ! ・・だけど、コードの先がコンセントに合わない?変だアンプが必要だと知ったのは大分後でした。 (こんな危ないことをしては絶対!駄目!ですヨ。)兎に角、その頃は、こんな時代だったのです。 新宿の紀伊国屋の2階の、帝都無線にヴェンチャーズと同じギター(フェンダージャガー)がディスプレーしてあります。でも、値段が21.500円(!)中学1年で、そんな大金あるわきゃ無い。 いつも、見に行くだけでした。(数回通ってから、それが215.000円だったのが判りました。) 今だと、とても高いオールローズのテレキャスターが、当時新品で245.000円でした。 山野楽器のバーゲンで、ブルーフラワーとペイズリーのテレが134.000円で、沢山売れ残ってました。 グレッチのカントリージェントルマンとモズライト(楽器のロールスロイスといわれた)が36万円。 GSがよく使ってた、ヤマハのセミアコは、53.000円でした。渋谷のヤマハの店頭に、ショーケース があって、中古のストラトが、数本ありました。ストラトキャスターのロゴが、小さな文字で、物凄く古くてチープな感じで、18万でした。こんな古くてじょーだんじゃネーって思いました。 そのころは、悲しいかなそんな価値観しかなかったのです。(買っとけばよかったのにネー)加瀬さんの、ヤマハの黄色/12弦も、渋谷のヤマハの2階に本人の名前で売約済み(18万)になってましたね。僕がヤマハのセミアコを、買う時は、小松久さんに、相談しました。 VOXのアンプを、初めて見たのも、そのセミアコを銀座のヤマハに引き取りに行った時でした。 灘康次が、トレードマークのブロンドのスーパー400(カッコイー)でなく、一度だけ、フェンダーのテレキャスターを、使ってるのを、見たことがありますが、それもカッコ良かったナー。 (ちょっとアンタ、それって、どういう価値観なの?)2000.5.31

●河上修”DEAR OLD GOODWIN”

名匠グッドウィン・グラハム1780年製作のコントラバスに思いをよせた河上修(所有者)のベース/リーダー作(ロブスターLDC-1039)。まずコントラバス(ベース)の弦の音が素晴らしい!そして、タイトルチューンが、これまた泣ける!(バツグンにイイデス)こういう楽器への、思い入れや、人を尊敬したり、モノを大切にするという感情などは、プレーヤーでないと、なかなか判り難い世界だと思う。 メンバーがシブイ! (渋さ知らずでなく、渋さを知っている)河上修(B/リーダー)清水潤(DS)大野肇(P) ミニナ・モサ以外はすべて、ベースがリフをとります。地味なアルバムです。 別に大作ではないが、ライブラリーの片隅にいつも、置いておきたいアルバムである。 (これ、探している人、多いんじゃないかナー?僕は八戸で見つけました。)2000.8.7

●バンドホテル の灯は 消えて..

おととい、ギターの 中牟礼さんから 大昔 BSの 原田さんのバンド(トンコさんのバック)が、 シェル・ルームで演奏すると 税関から ”静かに!’とクレーム が来た話を 聴かされましたが、きのう 偶然 バンドホテルが 閉まったニュースを 耳にしました。僕は シェル・ガーデンに コーちゃん(エディー藩) を聴きにいった事位しかありませんが、いつも ジャズメン・クラブにゆく途中の(新山下・下車) ベイブリッジと、マリンタワーとバンド・ホテルの ネオンが とてもヨコハマしていて 見えてくるのが とても 楽しみでした。つい最近まで デニー白河&ウィリー沖山 のショーの広告が新聞に載ってたと記憶してます。 トニー谷さんもシェル・ルームがラストショー だったと聴いていますが.. きのうのジャズメンクラブは中牟礼貞則トリオでしたが、 塚原小太郎さん(P)が飛び入りしました。 2人はハイファイセット時代の友人です。 バンド・ホテルは今はドンキホーテになっています。

●JAROにあった”GUITER SOUL”の幻のジャケット

あのプレステッジ・ブックにもレコード・レーベルしか載らなかった(ジャケットは存在しないかも?) というレコード(オムニバス)が、渋谷のJAROにありました。 ケニーバレル(!)&バリーガルブレイス(!!)の2ギターカルテットで、”ビリースバウンス””プレリュードトゥアキッス””スイングしなけりゃ意味無い”の3曲です。 昔のケニーバレル大全集に2曲だけ入って(1曲漏れてる)いたという演奏です。 もちろん、ジャケットはちゃんとありましたヨ。(上のブルーの素敵な写真です。)2000.5.27

●雪村いずみの”プロテスト・ソング”

雪村いずみの歌 (心に)響きました! (こういうの 昔 たくさんありましたねー。) ”雨になにをしたの? / みじめな戦争” 雨は ジョーン・バエズ、みじめは PPMの カヴァーです。 VINTAGE RECORDのオークションで 落札したシングル盤です。 最近 (時代の流れを感じるネー)こういうの まったくないネー。 あの頃(60年中期?)は みんな ピュアーで みんなで歌えば 平和が来る(!) なんて (本気?で)やってたんだもんねー。 それに引換え 今(現在)の プアーな こと(!!)。 でも 良い時代だったですー、トシも もう一度戻りたい・・(シュン・・)。 PS・伴奏陣は猪俣 猛とウエスト・ライナーズ、ターギのアルペジオは 中牟礼貞則(!)さん。

●ダニー飯田とパラダイスキングと九ちゃん

ダニー飯田さんが 亡くなりました。そういえば 3年くらい前のクリスマスの頃、厚木・一番街の ドトールコーヒーで ダニーさんがたった一人で たたずんでいたのを 思い出します。グリーンの ジャケット を着ていたので 近所で 仕事かナ?っと思いました。 これが 僕が ダニーさんを 見た最後の 想い出です。 僕が ダニー飯田とパラキンを 初めて見たのは 小学校2年の時です。 九ちゃんを見たくて おねーちゃん(姉)に ねだって デートのお供として新宿の ラセーヌに 連れていってもらったのです。 ”ズンッタッタ’は ライブでは フェードアウトせずに 最後は ドラムが”ダダダ ドン’で終わりました。(ドラムは ジョージ大塚だったかナ?) 九ちゃんが いた時代の パラキンの音楽は ビートルズと同じくらいに 大好きです! でも 九ちゃんも ダニーさんも 二人とも もういません。

●サム&デイブ 日本公演 と ホワイトキックス

ちょうど ”アイ・ サンキュー’がリリースされた後で 1970年頃だったと思いますが 新宿厚生年金ホールへ 行きました。当時 僕は高校生で ブッカーT&MG’Sの 大ファンで スティーブ・クロッパー 我が命(!)の 人生を 送っていました。 (当然 MG’Sが バックをつとめるものだと 勝手に 思い込んでいたのです) まず 、びっくりしたのは ドアの 外(ホールの中じゃなくて ロビー側)で 三保敬太郎と ホワイトキックスが 演奏(前座かな?)してたこと。憶えているのは ギターは 林さんで ジャガーを 弾いてたことだけです。(あの頃カッコエカッタナー)林栄吉さんは おととしかな?鎌倉のヴィーナスで 聴きました(バンドの名は サベージですビデオあるヨ) サムとデイブの 方はというと バックバンドは MG’Sでは ありませんでした。(ガックリ) ギターなんかセミアコで 全然カッコ悪い!そういえば あの頃 TVで THE BEATという R&Bの番組でも オ-ティスレディングのバックは いつも ゲイトマウス・ブラウンでしたネー。 (ハリウッド・アゴーゴーなんて 番組も あったネー)という訳で 僕と ステェーブクロッパー との 出会いは ありませんでした。レコードとかCDも いまでも よく聴きます。彼のソロアルバム も けっこう 良いですよ。(CD化されてない方のが 好きです)スタイリステックスも 一番良いアルバム は いまだにCDになってませんねー。デルフォニックスも ブルーマジックもみんな よかったネ。 あのころ あんなに 良い気分になれる音楽が世の中に 満ち溢れてたのは 人々の気持ちが ピュアーだったの カナー? ...今は? プアーじゃ けっして ありませんデス。

●高柳昌行&ジョン・チカイ LIVE AT FAR・OUT 1983

僕が JOJOさんの ライブに 行ったのは このセッションのみ 1回だけです。 この日は JOJOさんが 少し遅れるということで、 チカイ(AS・TS)藤川義明(AS)らが先にスタートしました。JOJOさんが ちっとも来ないので 友達の天野さん( JOJOさんの弟子)が心配して 本厚木駅まで迎えにいきました。 1セットが 終わっても JOJOさんと天野さんは戻りませんでした。大分遅れて 二人が 到着しました。 天野さんの 話だとJOJOさんが相模大野から 乗り換えを間違えて 江ノ島へ行ってしまった為 その分 さらに 遅くなった と 。そのくせ(自分で 間違えたくせに )怒ってんだヨ。でも 天野さんの トレーナーの エリが ほどけているのを 見てお金の心配を してくれたそうです。そして ヘッドホーンで 自分の テープを聴いていても隣りの人の話が ウルサイといっていたそうです。 2セットは ジョンチカイに高柳昌行が 加わりましたが、ギターは ピック は使わず、チェーンか 弓で 弾き?ました。ハッキリ言って 僕には 全然 分かりませんでした。 でも 高柳さんの プレイは こういうものの ほうが評価されている そうです。 僕は”プロフィール オブ JOJO’(VICTOR)のプレーが一番 好きです。また このときの 演奏は ビデオ に 撮ってあります。

●児島宏之の ギブソン・スーパー400(地球の上に朝が来る)

15年ぐらい前に ファッションハウス アオキが 加盟している洋服屋さんの組合の会合が 熱海の今は無き 静観荘で 有り、夕食の時に 児島宏之とダイナブラザースの ショーが あり ”地球の上に 朝が来る’が タンノイから 流れました。 夜遅く 僕が 一人で 大浴場で たたずんでいると さっきの 児島さんが 入ってきました。 僕が”スーパー400’イイ音してますネー’ ”よくご存知ですね あれは 川田 晴久の 形見です’ 3本のうち はかま満夫(オーバル)と 灘康二(エレキ)と 児島宏之(ピックギター)と分けたそうです。今度は 灘康二とモダンカンカンが 厚木の お祭りにやって来ました。僕がまた スーパー400の話をすると、”これは アメリカじゃ ウエス・モンゴメリーが 使ってんだ’ そういえば JOJO(高柳昌行)さんの 18番も ”地球の上に 朝が来る’だったそうです。誰か 録音してたら 聴かしてチョーダイ!

●セシルテイラー日本公演 1973.5.22 第2部

万博の帰りに 心斎橋の三木楽器で JCOAの JAZZ COMPORSER’S ORCHSTRA(銀色の2枚組)を 買ってから 好きになったセシル・テイラー(バレリーナのように 舞う指・こんなフレーズに 僕は興味を持ったのです)を 聴きに(見にかナ?)新宿 厚生年金会館ホールへ 行きました。 今日は トリオ・レコードが ライブレコーディーング (AKISAKILA)を 行います。(やったー ラッキー)第1部 は セシル(P) ジミーライオンズ(AS) アンドリュー・シリル(PER)・ フォーマットの演奏でした。 感想 は ハッキリ言って 良く分からなかったです。ライブを体験したって感じカナ?。 今の 僕なら 楽しめたカモ?ね。 さて 第2部です! セシルが 一人で 登場! 今度は ソロピアノかな? ”ホー’とか 言いながら ダンス(?)みたいな パフォーマンス。 ちっとも ピアノのところへ 行かない。 後方の 和太鼓(?)なんかを 時々叩いたり 相変わらず 踊りながら ”ホー’とか 言っている。 ちっとも サッパリ 分からない。 ...これで第2部は 終わってしまいました。 あまりにも 衝撃的な セシル・テイラーとの 出会いでした。 菅野沖彦の DENON ライブコンサート に セシル・テイラーが 出演したときも 司会より 前に演奏 が 既に始まっていて司会者が 困惑している様子が ラジオから 伝わって 来たのを 覚えています。

●ザ・ビートルズ日本公演・フイルムコンサート &ゴールデン・カップスSHOW IN 沼津

ミュージック・ライフ主催 ビートルズ・フイルムコンサートが 沼津で 開催される。 それも なんと(!)1部はデビューしたばかりのゴールデン・カップス SHOWつき(!)なのだ。 僕は 沼津が どこにあるのか? どう行くのか?ただ 熱海の 先ということだけがたよりでした。 そして なぜか下田に 着いてしまいました。(乗り換えを まちがえた) ヌマズ・食わず・で 到着した時は 星加ルミ子さんの 司会が 始まってました。 1部は カップスです。僕は ヤング720の グループ&アイ がゴールデンカップスに なったのを知ってました。 ブッチは モラレスの モズライトモデル、エディーは グレッチでした。 ルイズルイスは ずーとアンプに 寄りかかったままでした。 おぼえているのは ”GROLIA ’”ムスタングサリー’と” いとしのジザベル’くらいかな。 面白かったのは みんな 終演後の普段着も デーハーなのにデイブだけ白っぽいポロシャツで 一人学生風で 浮いてました。 主催者の何人かがルイズルイスの ステージマナーが 悪いことを指摘して、二度と呼ばないと いってました。 2部の BEATLESは 泣けました。 日本公演の (ひどい音の)テープ(当時はオープンリール?)を かけながら演奏シーンの スライド (動かない)を見るという(どうしょうもない)コンサートだったのでした。 ↓(その時の写真がコレだよ!)

●ヤング 720 と ビート・ポップスとギタリスト

僕が 中学生の頃 TBSで ウイークデイの朝 7時20分からヤング720という番組がありました スタートに スタジオ・ライブがあり(当時の人気バンドが日替わりで 演奏するので、いつも楽しみだった) 特に記憶に残っているのは、グループ&アイ(カップスの前身で ナポレオン党に属する)と増尾好秋(レスポール)&日野元彦のDUO 。前者は ”ムスタング・サリー’と”ナイト・トレイン’(2曲!) 後者は 即興演奏 !(ヤードバーズのI’M A MAN のリフみたいなスローブルースだったと思う) 。 コーちゃん も 増尾 も 当時の僕の アイドルで エデイーはグレッチ ・長い髪の少女の頃はアーム付きの テレキャスターハニーのBABY CRYING /増尾好秋は絶対!ジョニー・スミスモデル。 スイングジャーナルーコンサート・パストラルはACE TONEのFUZZを 使ってた。 一方 巨泉 のビート・ポップスは ”ブレントン・ウッド’が 出たときの バックの石川晶(カウントバッファローズかなあー?)のバンドのギター 杉本喜代志(ES-175)カッコヨカッタナー。 (これはテープに録ってあるゾ)なーんだ みんなギターじゃねーか。 ついでに ”ヤング・オーオー’のリンダ&リンダースの カトウヒロシのブラックバイソン(?) (たそがれの御堂筋 ・ギター子守り唄 ナツカシー!レコード持ってるゾ)。 ムッシューの白いエスクアイアーも カッコヨカッツタ。 あと BEATLES が 帰ってから(70年前後かなー?) お茶の水の 楽器店で JOHN 使用と POPのついたエピフォン(サンバースト)が 26万8千円で売られてたけどあれって ホンモノかなー?。ちなみに 現在の僕の アイドルは 中牟礼貞則と宇山恭平とジム・ホールです。 最近、ものすごく”CREAM”が好きになりました。(特にライブの演奏)

●宇山恭平の”いそしぎ’と”CROSSROAD’

僕が ギターの宇山さんに 強く興味を もったのは、 僕のバンドの ドラマー(表現が古いネー)タッチャンがレギュラーだった、いまは無き”プレシーブーレ’に ”昨晩 宇山さんが 来てサー いそしぎ演ったんだけど 宇山さんの ギター泣いてたんだよナー’この 一言でした。 その日から 僕の”泣きの いそしぎ’への 旅 が始まったのです。宇山さんの ライブに 行き ”いそしぎ’をリクエストしますが、”えー・いそしぎを ボサノバで演るのー? 暗くなっちゃうよーその日は 4ビート。違う日のライブでは ボーカルで 演りました。 大分後ベースの小林新作さんの 8ミリビデオに” 泣きいそしぎ’が やっと見つかりました。(宇山さんの ギター泣いてましたヨ) 2.3年前 マッカーサーで 宇山さんと 演奏した時のことです。3セット目の最後の 曲が 終わった!とみんなが 思いましたでも まだ 熱い余韻が そこに ありました。 急に! 宇山さんが 曲名知らないけどこれを 演ろう!ブルース ! ..”クリームの クロスロード(!!)でした’それもサブドミの部分がフェイク してある まさに..クリームの CROSSROADでした。僕は サイコーに ハッピーな 気分になりました。もちろん 演奏は 大グルーブ(!!)で お客も 大ノリ!大満足!だったのは 言うまでもありません。ただ テープがすでに 終わってしまっていて ほんとうの 幻の 名演になってしまったのは 残念(!)でした。宇山さんが 上手いギタリスト というのは みんな知ってるけど、 お茶目で ロマンチストで照れ屋の彼の 別の顔を 知ってるのは 僕ぐらいかもネ? 宇山恭平は 僕の音楽のこころの先生 だし アイドルです。

●古木さんの思い出

H14年5月11日、アオキとの付き合いが、35年間にものぼる相棒そして先生 ”古木吉彦(P)”が古木さんは、アオキのジャズ(音楽)の先生であり、彼からは、数多くのこと(マナー、教訓etc)を教わりました。 アオキの音楽人生は、古木さん無しでは、考えられません。 古木さんに、初めて会ったのは、アオキが中1の時です、相模大塚の”US”という外人BAR(これで解かる?) に出演していた”本家BAND”のメンバーでした。 古木さんはピアノではなく、リード・ギターを弾いてました。 その時の、1曲目のウイルソン・ピケットの”IN THE MIDNIGHT HOUR”は衝撃でした。 なんせスパイダースの”IN THEMIDNIGHT” を聴いたのは、その半年後なのですから・・。 おそらく、本牧の”ゴールデン・カップ”と同じような”文化”が存在してたのだと 思います。(厚木キャンプが隣りでしたし・・) その後、誘われて和製”BOOKER’T&MG’S’を組んだのが、きっかけでした。(その時から担当キーボード)古木さんが、最後に演りたかったのも、MG’Sでした。 やる曲を決めてから、メンバーの山田に送った、3月3日のメール”古木さん具合悪いので、来週に延期してといってきたので、明日は中止!”   とし。その来週の練習の2日前に、古木さんは入院しました。 最後の演奏は、マッカーサー・ガレージでの”さーりえBAND”でした。 アオキは、古木さんのピアノ(この日は、力強かったでした!)を、心にしみ入るように、ギターをなるべく弾かないで聴いていたかった!こんな気分だったのを覚えてます。 とても具合が悪かったのに、とても楽しそうでした! 人間的にも、暖かくて、やさしくて、立派な人でした。 ( 特に用事がなくても)ふっと電話をして、話ししたくなる・・ 古木さんて、そんな 人です。古木さんと出会えてよかった! 古木さんが居なくなって、とても、寂しいです。心からご冥福をお祈りします。